伝えたかったこと
昔からハチャメチャだと言われたこんな私ですが なぜかいつも人に恵まれてます。
人生の節目やピンチには必ず強力に助けてくれる人がいて
自分でも後でへ???という風に全てが良い方に流れていくので
はたから見ていても 「あんたってラッキーよな~~」とあきれられます。
そんな中でも私がさんざんお世話になった杉浦先生は私の中でも特別な方でした。
私は小さい頃から 沢山のお稽古事をさせられましたが
どれも長続きせず お絵描きは唯一その中で続いたもので
私は中学2年生から杉浦先生のアトリエに通うようになりました。

苦楽園のアトリエは子供の私には大人の世界で
私が帰る時間帯になると沢山のアーティスト達が集まり
ワイワイガヤガヤと何か楽しそうでいつも賑わっていました。
ペインティングオイルの匂い パイプの香り 裸婦モデルの香水の香り・・・
幼心に その華やかな背伸びした時間が心地よかったものです。
お正月には卒業生たちが先生のサロンに集まりニューイヤーパーティをしたものです。
今だから言えますが
中学生の反抗期のころ 家に帰りたくなくていつも学校帰りに行くのはアトリエでした。
アトリエでひたすら絵を描いていると心が落ち着き癒されました。
先生はいつも「君はおもろいな~~もっとハチャメチャやらなあかん。
君らしくいかなあかん!」といつも私の人格の全てを認めてくれてました。
高校2・3年のころは担任の先生とそりが合わず
仲のいい友人も全員クラスを離され 初めての失恋をし 人生初めてのどん底状態でした。
自分の居場所のない私は「行ってきま~~~す」と制服を着て
何食わぬ顔で元気に家を出て
夙川公園で時間をつぶし
アトリエでお弁当を食べて 一日絵を描いていました。(おかあさんごめんなさい)
先生は何もいわずアトリエのカギを開けておいてくれました。
「学校やめてイタリアでもいったらどう?」といわれましたが
小心者の私にはそんな勇気もなく
「今のままいるならちゃんと卒業せなあかん!」とだけ言われました。
あの当時アトリエがなければ 私はもしかしたら夜な夜なパララ~パララ~と走り回り
ヤンママになってたかもしれません。
いつも何も言わず 自分らしくいることの大切さ 自由でいることの自己責任
小さな事にとらわれないおおらかさを 教えていただいたように思います。
お子さんのいないご夫婦はいつも仲むつまじくとてもおしゃれで
お家は先生が描かれる天使の絵がとても映える アンティークなインテリアで
現実離れした空想の中に過ごされてるイメージでした。

仕事を辞めた私に今も続く子供の絵画教室を誘ってくださったのも杉浦先生で
私は生徒として5年間お世話になったアトリエで
今度は講師として務めることになったのが15年前でした。
10年間毎週一回先生と30分ほどおしゃべりをすると元気になったものです。
10年目に先生が急にアトリエを閉めると言いだされて 私は独立することになりました。
「これからはゆっくり旅行をしたり絵を描くことに専念したい」とおっしゃり
またお家に遊びに行きます!と言ったきり 一度個展でお会いしたきりでした。
先日 先生から珍しく電話があり たわいもないことを話した後
1カ月後にまた連絡をして欲しいとおしゃったのです。
私は何か胸騒ぎがし 1カ月たたない間に直接お宅を訪ねると・・・
奥様から先生が亡くなった事を聞きました。
丁度私に電話をくださった1週間後でした。
亡くなる前に誰かに何か伝えることはないかと奥様が聞くと
先生は「気になる人達には電話でお別れをしたから大丈夫」とおっしゃってたらしいです。
そしてちゃんと自分がいなくなったことを
後で知らせるかのように私に伝えられたのでしょう。
お世話になるだけなって何の恩返しもしていないのに・・・
今 私が幸せに暮らすことが出来ているのは先生のおかげなのに・・・
照れくさくて いつも肝心なことを伝えられない私・・・
せめてちゃんとお礼が言いたかったです。
「先生本当にありがとうございました。先生は私の心の支えでした。安らかに・・・」
私の人生の中でお世話になりっぱなしで恩返しが出来ていない方々が沢山おられます。
足を向けて寝れない方々が多すぎて立って寝ないといけません。
感謝の思いはあってもちゃんと伝えないとわかりません。
こんな後悔はもうしたくないと思いました。
今週末は 久しぶりに父と母に会いに行こうと思いました・・・。
人生の節目やピンチには必ず強力に助けてくれる人がいて
自分でも後でへ???という風に全てが良い方に流れていくので
はたから見ていても 「あんたってラッキーよな~~」とあきれられます。
そんな中でも私がさんざんお世話になった杉浦先生は私の中でも特別な方でした。
私は小さい頃から 沢山のお稽古事をさせられましたが
どれも長続きせず お絵描きは唯一その中で続いたもので
私は中学2年生から杉浦先生のアトリエに通うようになりました。

苦楽園のアトリエは子供の私には大人の世界で
私が帰る時間帯になると沢山のアーティスト達が集まり
ワイワイガヤガヤと何か楽しそうでいつも賑わっていました。
ペインティングオイルの匂い パイプの香り 裸婦モデルの香水の香り・・・
幼心に その華やかな背伸びした時間が心地よかったものです。
お正月には卒業生たちが先生のサロンに集まりニューイヤーパーティをしたものです。
今だから言えますが
中学生の反抗期のころ 家に帰りたくなくていつも学校帰りに行くのはアトリエでした。
アトリエでひたすら絵を描いていると心が落ち着き癒されました。
先生はいつも「君はおもろいな~~もっとハチャメチャやらなあかん。
君らしくいかなあかん!」といつも私の人格の全てを認めてくれてました。
高校2・3年のころは担任の先生とそりが合わず
仲のいい友人も全員クラスを離され 初めての失恋をし 人生初めてのどん底状態でした。
自分の居場所のない私は「行ってきま~~~す」と制服を着て
何食わぬ顔で元気に家を出て
夙川公園で時間をつぶし
アトリエでお弁当を食べて 一日絵を描いていました。(おかあさんごめんなさい)
先生は何もいわずアトリエのカギを開けておいてくれました。
「学校やめてイタリアでもいったらどう?」といわれましたが
小心者の私にはそんな勇気もなく
「今のままいるならちゃんと卒業せなあかん!」とだけ言われました。
あの当時アトリエがなければ 私はもしかしたら夜な夜なパララ~パララ~と走り回り
ヤンママになってたかもしれません。
いつも何も言わず 自分らしくいることの大切さ 自由でいることの自己責任
小さな事にとらわれないおおらかさを 教えていただいたように思います。
お子さんのいないご夫婦はいつも仲むつまじくとてもおしゃれで
お家は先生が描かれる天使の絵がとても映える アンティークなインテリアで
現実離れした空想の中に過ごされてるイメージでした。

仕事を辞めた私に今も続く子供の絵画教室を誘ってくださったのも杉浦先生で
私は生徒として5年間お世話になったアトリエで
今度は講師として務めることになったのが15年前でした。
10年間毎週一回先生と30分ほどおしゃべりをすると元気になったものです。
10年目に先生が急にアトリエを閉めると言いだされて 私は独立することになりました。
「これからはゆっくり旅行をしたり絵を描くことに専念したい」とおっしゃり
またお家に遊びに行きます!と言ったきり 一度個展でお会いしたきりでした。
先日 先生から珍しく電話があり たわいもないことを話した後
1カ月後にまた連絡をして欲しいとおしゃったのです。
私は何か胸騒ぎがし 1カ月たたない間に直接お宅を訪ねると・・・
奥様から先生が亡くなった事を聞きました。
丁度私に電話をくださった1週間後でした。
亡くなる前に誰かに何か伝えることはないかと奥様が聞くと
先生は「気になる人達には電話でお別れをしたから大丈夫」とおっしゃってたらしいです。
そしてちゃんと自分がいなくなったことを
後で知らせるかのように私に伝えられたのでしょう。
お世話になるだけなって何の恩返しもしていないのに・・・
今 私が幸せに暮らすことが出来ているのは先生のおかげなのに・・・
照れくさくて いつも肝心なことを伝えられない私・・・
せめてちゃんとお礼が言いたかったです。
「先生本当にありがとうございました。先生は私の心の支えでした。安らかに・・・」
私の人生の中でお世話になりっぱなしで恩返しが出来ていない方々が沢山おられます。
足を向けて寝れない方々が多すぎて立って寝ないといけません。
感謝の思いはあってもちゃんと伝えないとわかりません。
こんな後悔はもうしたくないと思いました。
今週末は 久しぶりに父と母に会いに行こうと思いました・・・。
by acute-97 | 2012-11-17 18:35

